自爆霊穂“無実ちゃんと十一人の未来罪人

長編ちっくなweb小説の形をした何か。完結済。

遡敗歴-バスタードキャリア-序

身を突き刺す極寒の気温と、むせかえるように濃く漂う血の香り。


合わせて眼前で繰り広げられている凄惨な光景が、その獣にとっては、最古で最初の記憶。


この世に生を受けて1か月にも満たないながらも突如として訪れた危機的状況――つまりは弱肉強食の理(ことわり)を身をもって体験した瞬間であった。


親並びに兄弟らしき同族は既に物言わぬ肉塊と化しており、行儀作法もどこ吹く風でそれら屍肉を貪り喰らう灰色の巨体の持ち主である大熊の口元は血で真っ赤に染まり、咀嚼するごとに浮かぶ湯気が無残さを際立てている。


幼き獣は直に自分も喰らわれるだろうという確固たる予感を持ちながらも、死に対する恐怖を上回る別の感情――自我が芽生えると同時に湧いてきた負の感情が、ドス黒くとぐろを巻くようにして自身の内面に渦巻いていくのを確かに感じていた。



理不尽な暴力に対して何も対抗策を持たない我が身の無力さを呪う、憎悪という感情を。



破れかぶれにて奇襲を掛けようにも、大熊が意に介していない点からして敵とすら認識されていない点から、矮躯たる己の無力さは歴然としている。



故に幼き獣にとって、生き延びる為にその場から逃げ出すという選択肢は微塵もありはしなかった。



考えるまでもなく返り討ちに遭うであろう未来を分かってはいながらも、玉砕覚悟の特攻へと行動を移行せざるを得ないまでに追い詰められていた幼き獣は、精一杯の唸り声を上げ、憎き敵たる大熊へと意を決して飛び掛かった。


――結果として、幼き獣はこの時この場においては、命を落とさず済むに至る。



ヒュンッ、バツンッ、と。



冷気を裂く様に真っ直ぐな軌跡を描いた弓矢が大熊の額を貫き、間髪置かずして繰り出された雷の如き一閃が、無骨な筋肉に覆われた丸太程の幅の首頸部を切断した。



「天候には恵まれておらんかったが、大物じゃ。粘った甲斐があったよのぅ」



金銀煌びやかな装飾をあてがわれた立派な鎧に身を包んだ妙齢の男が、刀剣に付着した血を拭いながら、その獣を見下ろしていた。



「親兄弟を助けられなかったせめてもの情けじゃ。儂が責任もって飼うてやるゆえ、屋敷に来い」



選択肢を与えない独断的な物言いながらも、心が温まるような優しさを含んだ口調で語る、その人間。



天下統一の治世を成し遂げた狗河家が五代目――当時の火本国の実質的な最高権力者たる帥夷大将軍。



狗河那津義(くがわなつよし)との邂逅であった。


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天総角城(あまのあげまきじょう)。


城郭のみならず、崖下に広がる街並みにおいても桁違いの広さを誇る、当時の火本国を統べる狗河幕府の君臨せし本拠地。


守りに易く攻めに難い、石垣と水堀に囲まれた難攻不落の安全地帯の深奥に幼き獣が居を移してから、早くも四年の月日が流れようとしていた。


ここには幼き獣に害を為す要素は一切存在しない。


頼まずとも朝昼晩(場合によっては菓子折りも挟んで)日々の食事が運ばれ来る為、生きる為の狩りは不要。


城外に出る事は叶わないながらもそれでも広大な敷地内をある程度自由に動き回れる故、運動不足に陥る心配も皆無。


何一つ心配するべき点の無い安全地帯。


安寧、安住の地である。


そこはかとなく野生が抜けつつありながらも、かなり恵まれた生活水準の下、幼き獣は拾われた後病気等も患わずにすくすく育っていった。


「あれから随分と大きくなったものよの、コロや」


己に溢れんばかりの寵愛を向ける那津義は、胡坐をかく傍にいる幼き獣へ向けてそう言った。


死ぬ瀬戸際を救われてからというものの、この人間は事あるごとに自分の事をコロと呼ぶ。


やがてそれが自らに付けられた愛称であることだと分っていたので、幼き獣は喉を鳴らして顔を那津義へと摺り寄せた。


「愛(う)い奴じゃ。その青白き毛並み、げに珍しく美しい。あの雪の降りしきる狩りの日にてコロと儂が出逢えたのは、きっと運命だったのじゃろうなぁ」


頭から背中へかけて幼き獣を撫でる那津義の手は、筋肉質ながらも皴を多く帯びていた。


彼の齢は六十六歳――当時の平均死亡年齢値を大きく上回る並外れた長寿である。


群雄割拠の戦乱の時代を武と智によって平定し、那津義の祖父である靖伊江(やすいえ)が覇をもって火本を取りまとめるようになってから、凡そ半世紀ばかり治世を引き継いぎつつも那津義は年を重ね続けている。



跡目争いや国家転覆など……斯様ないざこざに那津義が巻き込まれなかった――否、巻 き 込 ま れ る 余 地 を 許 さ な か っ た 理由を、この頃の幼き獣は未だ知らない。



そして更に7年後のある日。



幼き獣を脅かす第二の苦難の兆候が、じわりじわりと近づいてきていた。