決して振り返らず、無我夢中且つ全力で余物樹海を走り続けるも、ついには体力の限界が訪れた為であろうか。
大罪ランク11位。博愛依存症こと南波樹矢は、前のめりに地面へと倒れ込んだ。
寝返りを打ち、大の字よろしく四肢を投げ出し、荒い呼吸を繰り返す。
(西乃さん大丈夫かな……無事だといいけど)
額を伝う汗を手の甲で拭い、うっそうとした湿気にやや不快感を覚えながら、パートナーである沙羅の安否を憂う樹矢。
「みーなみくんっ」
(あれ……? 今、薄河さんの呼び声が聞こえた様な……)
蓄積した疲労感を振り払うようにして、上体を起こし、耳を澄ます。
「ここだよーっ。こっちこっち~」
木々が密集し過ぎていて小動物ですら通るのに難儀しそうな天然の突き当りの辺り――樹矢のクラスメイトである薄河冥奈が、枝に腰掛け手を振っていた。
手をかざせば隠れてしまう程に距離が開いていたが、それでもパーマがかかった彼女の桃色髪は、鬱蒼とした樹海において異様に目立っている。
(良かった。遠目だけど、目立った外傷は無さそうだ)
互いが互いに蹴落とし合うゲームの渦中にあるとはいえ、級友の無事に胸を撫で下ろす思いで深呼吸をしながら、樹矢はほんの少しだけ目を瞑った。
「あのさぁちょっとお願いがあるんだけど」
「ッ――!?」
比喩表現でなく、文字通り息が止まりそうになってしまう樹矢。
何故ならば、4~50メートル離れていた冥奈が、こちらを見下ろすようにして 己 の す ぐ 傍 に 立 っ て い た か ら である。
5秒にも満たない、僅かな時間。
状況に理解が追い付かない樹矢を気に掛けず、冥奈は構わずに続ける。
「ここに来る前、あたしとみなみくんとお姉さまとで同盟組んで、そこはかと仲良い風にやってはいたたけれど、実はさ」
「あの人ってばお兄ちゃんの仇なんだよね」
「あの人って、沙羅さんのこと……えっ、というかお兄ちゃんの仇って――」
「いいの。お兄ちゃんもあたし達と同じプレイヤーだったから。それは別にいいの」
伏目がちに、どこか照れたような表情をし、冥奈は思いのたけを語った。
「仇討ちよりも今は、あたしが納得出来ないだけな、私怨のようなモノの方が強いからさ」
「私怨……?」
「そ。みなみくんが第二回戦で一時離脱した後、実はお姉さまとあたしってばちょっくらバトってたんだけど、結果あたしが笑えるくらいにボコられちゃってさ」
「悔しいって気持ちよりも、“自分より優れた人間がいるんだ”って事実に尊敬の念すら抱いちゃうくらいで、でもって色々考えたんだよねー」
「 ど う し た ら こ の 人 を 絶 望 さ せ た 上 で 屈 服 さ せ ら れ る か 、って」
「でさ。頭が良かったり運動神経が良かったり、要は自分のスペックが高い人ってさ。優れた自分を実力で否定されるか、もしくは自分の大切な存在を壊されると、ダメージが大きのよね。あくまであたしの経験上での話だけれども」
「だからさ、両方実践することにしたんだ」
「両方……?」
「お姉さまの家族構成をあたしは全く知らないから、」
後ろに隠していた無骨な鉈を取り出して、冥奈は満面の笑みで、樹矢に懇願した。
「みなみくんの首、あたしにちょーだい?」
―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―
(確実とは言えないが――分かったことは二つ)
(①コイツの主戦力であるビーム兵器は連続使用が出来ず、チャージには1~2分のクールタイムが必要)
(②未来を予測するってのは過剰表現で、何かしらの方法をもってして私の攻め方を事前に把握してるっぽい)
(分かったっつっても……ジリ貧なのには変わりはないけどねぇ……)
樹矢が胸を貫かれ、反魂玉による効力で蘇生し逃走した後、沙羅は全身を休める事無く常に攻め続けながら、思考回路を走らせていた。
「愚鈍。いや、鈍くはないから愚劣と言い換えましょう。幾らやっても無駄だというのに、あなたの脳味噌はスポンジか何かで形成されているのですか?」
追跡者たる皇は余裕たっぷりの表情にて、挑発を行う。
「やってみなきゃあ分からないだろ。それとも何か? 降参宣言か、あぁ?」
虚勢とも取れる物言いの沙羅といえば、既に右肩口を負傷していた。
滝のような汗と血を流す彼女とは対称的に、一方の皇には際立ったダメージは見受けられない。
(水か、鏡か、どっちかが必要だ)
(片方はもうすぐ手に入りつつあるけど……どうにかしてこの優男を止めなければならない)
烈しさを増す一方的な打ち合いの最中、沙羅は相手と距離をおかず常に密着したまま、相対した箇所より移動を試みていた。
結果それは実現の一歩手前まで来ており、今や彼女のすぐ傍――木々の間を縫った向こうには、天然の沼が目と鼻の先であった。
攻め手を緩めぬまま試行錯誤する沙羅を見透かしてか、眼前の追跡者は柔らかな口調にて忠告を促す。
「勘か、あるいは私の思考を盗聴してか。両方なのか両方でないのかは計り知れませんが、ともあれ“ブリューナクの槍”を二度も躱すとは、称賛に値します」
「へぇ。下等生物に対しても礼を言えるなんて、案外いい奴なんだなてめぇは」
「そして、そのような浅はかな思い上がりこそが、身を滅ぼすのです」
ズドンと、沙羅の左胸部を、 何 か が貫いた。
「がっ……! ア……アァッ……!!」
ぱくぱくと口を動かし、声にならない空気の塊を吐き出そうと藻掻きながら、片膝を付いてしまう。
(よ……予備動作無しでも撃てるのかよソレ……)
沙羅はこれまでに、追跡者の攻めのモーションを一連の動作として、三回確認していた。
一度目は樹矢が穿たれた時、二度目は後ろから不意打ちを喰らった時、三度目は打ち合いの間際に距離を置いた時。
手を突き出し、掌部が白光した後に、直線的に打ち出される。
今までが三度とも全て同じ動きであったが為に、ともすれば四度目を同じであるだろうという思い込みから、直撃に至ってしまう。
掌全体ではなく一部である左手人差指に発光の残滓を残し、口角を歪める追跡者の双眸は、未だ閉じられたままでいて。
「面積というか、威力は落ちてしまうのが難点ですが……とはいえ、あなたを一時的に止める事が出来た様で幸いです」
「さてと。伴侶の心臓を消し飛ばした時、暫くしてから彼は何もなかったように復活し逃げだしましたが、あなたも同様になり兼ねない」
「なので動けない間に、試しにその首を 刎 ね て みましょうか」
再び手を掲げて、斬首を執行するべく白光を纏う。
(やばい……マジに身体が動かねぇ……)
致死量を負った際に身代わりとなり砕ける反魂玉の効能は、果たしてその身から首が斬り飛ばされた際にも有効であるのか。
後にその答えを最悪の形で知ってしまうとはいえ。
現在の沙羅は正真正銘にして絶体絶命の窮地に瀕していた。
「フフフ。それではさようなら――――――――!?」
「!!!」
沙羅の命を刈り取らんとする死神の鎌が如き一閃が振り下ろされる刹那であった。
両者の上方部より追跡者に向かって、強襲する者あり。
咄嗟に翼を覆うようにして防御態勢を取った皇であったが、予期せぬ不意打ちによって沙羅を仕留めるタイミングを逃してしまう。
「あれま。今のは完全に極まったと思ったんじゃがのう。ほいでお前といえば、なーにを死にかけておるんじゃバカタレが」
呼吸もままならないかつての弟子の頭をぺしぺしと叩きながら、乱れた袖口を正すその男は。
「やぁやぁ天使様。それじゃあ儂と遊ぼうか」
存命する大罪人の中で最も暴力性を有する者――歴戦の古傭兵、央栄士その人であった。