村雨――生前、出雲清春という名であった彼は、過去開催されたゲームにおいて最後まで生き残った大罪人の内の一人である。
紆余曲折あって運営側へと立ち位置が変わった彼は、大罪人から眷族となった後も、己の研鑽を欠かしたことは一日たりともない。
老衰する肉体を幾度となく捨て去り、魂の在り様はそのままに転生を繰り返した来た村雨だったが、しかしあくまで固有能力はレベル2止まりでいて。
固有能力【ハートフルアビス】
あらゆる影という影を支配し使役する能力。
性質的にはふるるの【ファントムホール】に近しいそれは、しかし実情全く似て非なるものであって。
超越者たる南波樹矢のレベル3と同等か、あるいはそれ以上の性能を秘めている。
年月を経て研ぎ澄まされたその膂力は、最後の大罪人へと容赦なく牙を剥く――。
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(中々にジリ貧というか……参ったなこれは)
ぽたりぽたりと流血しながら、樹矢はそう思った。
既に辺りは一面の黒に埋め尽くされており、光の無い闇の世界へと彼は陥っていた。
自分の身体すら見えない、黒・黒・黒。
具現化した端末も壊されており(とはいえこれはあくまであってもなくても問題はないにせよ)、不規則に訪れる 飛 ぶ 斬 撃 の格好の的と化している状況は、未だ好転の兆しを見せていない。
(視認さえ出来れば躱す事は容易いって思っていたけれども、驕りだったね)
十数回程身体を刻まれてしまっていたが、しかし致命傷には至っていない。
常時発動型の固有能力によって斬撃は全て樹矢の皮膚あるいは肉を裂くのみで骨まで絶たれることは無かったし、流血し失った血液も随時補完・補填する運用を敷いているが故に、この程度であるならば死ぬことはないとはいえ。
こ れ 以 上 の 強 攻 撃 が飛んで来た際に無傷でやり過ごす策までは、今の樹矢には思いついてはいなかった。
「またしてもになりますが、再び前言を撤回しましょう」
どこからともなく、村雨の声が聞こえてくる。
「白兵戦行為は久方ぶりだったとはいえ、中々どうして厄介なものですね。 こ れ ま で の 全 て を 掌 握 す る 相手と闘り合うというのは」
言葉尻だけで言えば称賛とも取れる村雨の文言と同時に飛んで来た一閃を額で受け止めながら、樹矢は返答する。
「全部が全部使える訳ではないし、使い手によってここまで差が開いてしまうのは想定外でしたよ、村雨さん」
固有能力レベル3【ジャンキージャンクジャックポット】
過去全ての大罪人の固有能力を生死問わず制限なく複数同時に行使できる、能力である。
但し例外もあって、幾つか使えない能力があるとはいえ、目下の所現在の樹矢は110弱程の別個の力を有していた。
相対する村雨の【ハートフルアビス】を行使し影から影へと瞬時に移動する能力その他+αによって従獣絵重に快勝したものの、対村雨戦においては防戦一方――攻めあぐねている状況である。
(視覚だけを奪われただけならまだしも……音も臭いも全く感じさせず、切られてからしか分からない、回避不能な攻撃手法)
(ならば対象を指定しない全方位攻撃にて、当てずっぽうでも構わないからこちらも攻めに転じるべき、か?)
斯様な破れかぶれの戦法へ移行するかしまいか迷ったものの、しかし樹矢は不動の佇まいを解かない方針に決めた。
(駄目だ、焦るな。村雨さんが消える前に一瞬だけ 観 た じゃないか)
察知できない不可視の飛ぶ斬撃は、正確には影であるならば何処でも切れる能力であることを樹矢は【ジャンキージャックポット】にて知っていた。
そしてその更に上の段階――切った物質を影へと変換する【ロトールザマーキュリー】を、村雨が自分に向けてすぐさま放てる状態であることも、既知であった。
疑問なのは何故未だ必勝であるそれを打ってこないのかであるが、恐らく村雨は不明瞭ながらも確信があるのだろう。
切られてからであっても切られたことを 無 か っ た こ と に す る かもしれない樹矢の固有能力を懸念しての、この膠着状態なのであろう、と。
(命中の瞬間、あるいは事前での発動が可能だとしても、身体組織を液状化するだけでは、先程の事象に説明が付かない)
されるがままにされている幼き大罪人を眺めながら、闇と同化した村雨は思案する。
(それ以外の固有能力を、コイツはきっと持っている)
(予想としては時間干渉系統――周囲ごとの何もかもを巻き戻す固有能力であったとしたならば、下手に大技を狙うべきではないでしょうしね)
過去の大罪人の固有能力を余すところなく把握している訳ではないにせよ、時に埒外の並外れた効果を有するそれを行使した大罪人も、何人かいたとは聞いている。
物質変化並びに物質の具現化、ひいては村雨自身の固有能力まで(精度はそこまで良くないとはいえ)並行して発動する樹矢は、どうにも侮りがたい。
とはいえ一切の反撃を行ってこない超越者に対し、多少なりとも違和感を覚えていた村雨は、そこではたと状況の変化に気が付き、身をこわばらせた。
「――――――」 「――――――」 「――――――」 「――――――」 「――――――」
「――――――」 「――――――」 「――――――」 「――――――」 「――――――」
「――――――」 「――――――」 「――――――」 「――――――」 「――――――」
「――――――」 「――――――」 「――――――」 「――――――」 「――――――」
(……なんだ、こいつらは?)
無骨な鉄格子が下りている窓の内側に佇む小柄な人形――その数、20余り。
奥行きの存在しない平面的なそれらは、しかしどうやら明らかな質量を伴っているようでいて。
突如として宙に出現したそれらの群は、不規則ながらもぐるりと樹矢を取り囲んでいる様に見て取れた。
がちりっ!×20
物言わぬ人形達の手元に携えられた、リボルバー式小型拳銃の撃鉄が引き上げられる。
決して少ない数では無いが、それでいて多くも無い20丁分の銃口は、虚空に溶ける村雨には向いておらず――術者本人である樹矢へと狙いが付けられている。
(まさか、自滅?)
訝しむ村雨を尻目に、しかし予想通りといえば予想通り、乾いた炸裂音がなるとほぼ同時に、銃撃が樹矢の肉体へと撃ち込まれ続ける。
パンッパンッパンッパンッパンッ!
パンッパンッパンッパンッパンッ!
パンッパンッパンッパンッパンッ!
パンッパンッパンッパンッパンッ!
四方八方から襲いかかる実弾の反動にて歪なタップダンスを踊りながら、樹矢はニヤリと口元を歪めた。
「――見つけタ――」
発射と同時に発光するマズルフラッシュ。
今も尚、カメラのフラッシュの様に瞬く閃光に照らされて、村雨の輪郭がおぼろげながらに浮かび上がる。
(なんという横暴を……無茶苦茶ですね)
己がダメージをも厭わない自傷行為によって、大まかとはいえども自らの位置が特定されてしまった事実に、村雨は舌打ちする。
そして銃撃音が鳴り止むとほぼ同じタイミングで、窓枠の総数は先程の10倍以上にも膨れ上がり、皆が皆とも村雨のいる方向へと向きを変えていた。
(目検でざっと219――全てを躱しきるのは難しい、か……)
一瞬の判断の後、村雨は周囲に展開した全ての影を自分へと集約させる。
血にまみれつつも視界が明瞭になった樹矢は、変容した村雨の姿を目撃すると同時に、窓枠に佇む人形群へと指示を下した。
通常であれば避ける事など叶わない、巨大な面を押し出すかのような密度の高い精密射撃。
だが、村雨はそれに構うことなく、なんなら迎撃すら行わず、迅速に樹矢との距離を詰めてゆく。
「ッ!? はっ、早…………」
(音速以上光速未満――捉える事は不可能です)
黒以上に黒く、全てを呑み込む暗闇を纏った村雨からは、いわゆる質量という概念が失われていた。
体重はおろか、衣服や仮面は勿論の事、得物である西洋刀までに作用している“昏鎧躯態-アートマフォルム-”により、被弾する銃撃の被害を最小限に抑え込みながら、ジグザグに地面を滑る。
一見してそれは、酷くゆったりとした動きにも見えるが、移動後の軌跡が残像として視認できる程の高速移動である。
早さだけならば、かつての大罪人であった薄河冥奈の【ボルテックストレート】の全力すらも凌駕する特級歩行法。
あれよあれよという間に接近を許さざるを得ない樹矢の2メートル手前にて、村雨は西洋刀を肩に担ぐような構えを取った。
「それなりに楽しめましたが、幕を閉じましょう。塗り潰せ――“架奉絶斬-キルビル-”」
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避けようの無い一撃は、しかし樹矢を両断するには至らなかった。
反応できないが故にはからずとも目を瞑ってしまった樹矢だったが、辺りを支配する不気味なまでもの静寂が訪れた十数秒後におそるおそる目を開ける。
「……えっ?」
首筋寸前にて静止した黒い切っ先、その持ち主である村雨は。
腹部より波紋上に広がった亀裂を残し、地に伏せることなく立ったままに絶命していたのだから。
樹矢は未だ何もしていないのに、どうして。
ふと辺りを見回すと、いつから居たのか不明ながら そ れ はちょこんと地面に座っていた。
『主人の許しを得てもいないのに先走るとは莫迦よの。使える奴と思っておったが、余の見込み違いであったか』
樹矢を意に介する素振りも見せず、時代外れの口調にて独白する そ の 動 物 を、樹矢は知っている。
「アニメならともかく、存外不気味だよなぁ…… 人 間 以 外 の 生 き 物 が 喋 る 光 景 ってのは」
曇りのない晴天の空の様な、青々とした毛色と毛並み。
両手で抱きかかえられる程に細々とした、矮小な体躯。
愛らしい見た目とは裏腹に相対する者全てを戦慄に叩き込む、尋常ではない殺意の渦。
『何かほざいたか咎人よ。ともあれ、中々強靭な魂力を有しておる。及第点はくれてやろう。さて……では、戯れようか』
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一連のゲームの首謀者であり。
且つお館様という名称の正体。
魔犬パスカルとの邂逅。
樹矢にとってそれは、地獄すら生ぬるい絶望の序曲に過ぎなかった。