自爆霊穂“無実ちゃんと十一人の未来罪人

長編ちっくなweb小説の形をした何か。完結済。

遡敗歴-バスタードキャリア-破

不退転の標榜の下、屍山血河が如く膨大な戦死者を輩出した後に実現した泰平の世。


大規模な戦(いくさ)はその後勃発することはないながらも、しかし内政的には非常に歪んだ現状を孕んでいた。


人間とは異なるかの獣においては自らに害が及ぶことは万に一つもありはしなかったが、大雪の吹きすさぶあの日から十年以上経った今になってようやく、その兆候並びに惨状を把握せしめていた。



寛栄十三年葉月半ばの、ある日。


今にも落ちてきそうな巨大な入道雲が陽を覆うやや曇った空模様の下、獣は城郭内をとぼとぼと徘徊していた。



五十間(約90.5メートル)にも及ぶ桐造りの廊下にも、漆で塗り固めた大広間にも、給仕係の下男下女らがひしめく台所にも、まるで時が止まったかのような一面の枯山水の庭にも、主の姿は存在していない。


(あの方は今日もいない、か……)


ひくひくと鼻を鳴らしながら、獣は半ば落胆しつつも歩みを止めずに進み続ける。


歩けども歩けども飼い主である那津義に遭えないのはその獣自身分かってはいたのだが、分かってはいるのだけれども歩かずにはいられない。


そして獣は知っていた。



主が 例 の 事 に精を出しているであろう場所に、自らが意図的に近付いていないという純然たる事実に。



いつ頃だったからのだろうか、紅白の簾(すだれ)を垂らした鬼の面が天総角城のあちこちに出現し始めたのは。


当初見かけた頃は一つだったものが、時を経るごとに二つ・三つと徐々に増えていき、今ではかなりの数が屋内に現存している。


基本的に足を踏み入れてはいけない範囲は指定されていなかったとはいえ、獣はけっしてそれら簾の奥に進もうとはしなかった。



すすり泣く声であったり、野太い絶叫であったりが内側より聞こえてくるのはもとより――嗅覚が異常をきたしそうな程の強烈な死臭が、獣を遠ざけていたのだ。


「万死必然が故に誅す。とくとく死すな。ようよう苦しめ」


感情の籠っていない無機質な宣告と共に、老若男女問わずの断末魔が木霊する。


目には見えずとも、凄惨を極めるであろう拷問の風景を案じて、その都度獣は寝床のある自室へと急いで踵を返したものだった。



(種族は違えども、森や山とは異なる場ではあろうとも、強者が弱者を虐げる摂理が同じであるのは、まぁ分かる)



(だが何故だ。心優しき主が、どうしてあのような凶事を積極的に執り行う?)



どれだけ考えても、獣のにはその理由が分からなかった。


人語を介せないとはいえ、ある程度の意思疎通が行えるぐらいには聡明であったからこそ、余計に理解に苦しんでいた。



聖畜不殺の令。


火本国の歴史を紐解く中で最悪だと名高い、勅令の一つ。


その文面はというと何のことは無い、たった二文にて帰結する内容である。



“人よりほかのあらゆる生き物の命を奪ふべからず”

“いかなるよしあらむともこの契りを破りし者はその命もちて償ふべし”



人間以外の全ての動物の命を奪ってはいけません、どんな理由であったとしても約束を破った者はその命で対価を払わなければなりません。


質の悪い冗談の類に違いないと各地の民はこぞって笑ったものであったのだが、発令より僅か一週間にて罰された者は二十万余人にも上る、開国以前においては異例の懲罰制度であった。


米や雑穀だけでは腹は満たされない、命ある限り人は他の命を食さなければならない、もといそもそもが日々の食い扶持を得る為に労働に従事せざるを得ない大多数の庶民たちは、狩猟や漁業を生活の一部としていた。


が、そのような食物供給者を必要としながらも、しかし事実として動物は愚か魚類すらも“あらゆる生き物”に含まれるのだから、処罰の例外にはなりはしない。


ほどなくして街頭のあちこちにおびただしい数の死体が積み上がる事となる。


それら死体の山に群がる蛆や蠅を殺めても、勿論執行は行われたのだから、刑を恐れた人々の精神状態は悪化の一途を辿り、加えて衛生面における二次被害的な伝染病が蔓延した所為で、数多の人間が命を落とすのは必然といえようか。


最終的には国内の三割近い人間が死に陥る結果となる、将軍ご乱心としか思えない法律であった。



斯様な大禍の根源、狗河家五代目帥夷大将軍である那津義は、いつからか心を病んでいた。


否、病まざるを得ないその起源が、出生時より明確な背景を以て存在していた。



大乱の世が終わりを告げた後に訪れる事が必須である、いわゆる跡目争いの渦中に、那津義は常に晒されていた。


笑顔で近付いてくる親族の大半は、何かしらの黒いモノを腹に抱えた偽善者が殆ど、もとい全てと断言出来る。


利権にあやかろうとする者、隙を見て殺しにかかる者、勢力争いの捨て石にせんと画策する者。


ロクでもない、ある意味では人間らしい人間達に囲まれ祀られ続けた那津義は、それら因子が奏でる不協和音に常に苛まれることとなる。



第三代目の靖伊江が存命中に限っては抑止力が効いていたとはいえ、没後の一年間に命を狙われた回数は、両手両指では効かない程にひっきりなしであった。


身体も精神も共に未熟でありながらも“弱いままでは淘汰される”という事実を身をもって思い知らされた那津義はというと、ただ生き残る為だけに毎日を消費する様になった。


終わりのない鍛錬に勤しみ、合間は合間で勉学に従事し、就寝時も意図的に飛び起きられる様な習慣を身に着けていた。



やがては親藩譜代は勿論の事、外様に至るまであらゆる大名を傘下に置く帥夷大将軍にまで上り詰めた――のではあったのだが。


やられたらやり返すの精神を超越したやられていなくともやられる可能性がある対象は全て排除せよの志の下、那津義はあらゆる政敵を全力で叩き潰し、例外なく滅ぼしたが故の過程を忘れてはならない。


彼を暗君たらしめる根源・根幹は、避けようの無い現実における必然に過ぎなかった。


五代目拝命後一旦は落ち着いた負の感情は、只表に出なかっただけであって、とっくのとうに限度を迎えていた表面張力が決壊し、暗い暴力の意志が溢れただけに他ならない。




権力をかさとして暴力そのものの象徴であった那津義は、だとしても獣にとっては唯一無二たる存在。


死んでもおかしくなかった、どう足掻いても生からは見放されていた状況を打破し、己を救ってくれた恩人であり、獣が認めるたった一人の家族である。


血の繋がりはなくとも、芯の所では繋がっている。


種族を越えた信頼関係があるものだと、信じて止まなかった。


那津義の凶荒具合が加速度的に膨れ上がっていく最中に於いても、彼は獣に手を加える事はなかった。


憐憫に対しての、恩義を含めた憧憬。


それは近いようでいて絶対的に遠い、決して相いれない対立構造であったことを、彼らは互いが自覚せぬままに袂を分かつこととなる。




そしてその後、寛栄十七年――ようやく狂宴の幕は下ろされる。


狗河那津義、享年七十七。


脚気の悪化により、病に伏しての往生であった。


家臣に囲まれ見取られる中、獣はその胸中にてそっと呟いた。



(きっとここはもう、安全じゃあない)


(一緒に逝ければ良かったのだけれど。主はきっと許してはくれないだろうし、それに自分にはまだ、余力があるのだろうから)



那津義には、獣以外に飼っている愛玩動物が他に十数匹存在していた。


大過ぎる存在は、得てして存命する間においては無類の抑止力として効用するとはいえ、一度それが消失してしまった後、力量関係はいとも簡単に瓦解する。


そしてあまつさえ、危うげながらも均整の取れていたものは砂上の楼閣でしかなくて、当然の帰結と言えばそうでしかないかもしれないとして、事実獣を除くその他愛玩動物は翌日家臣らによって一匹残らず縊り殺されることとなった。


予兆か、あるいは予見か、はたまた主の死と同時に復活を遂げた野生の感が為したのかは定かではないが――はたして獣は城内より逃げおおせた。



奇しくもその日の天候はすこぶる悪く、那津義に拾われたあの日と同様――よもやそれよりも荒く激しい、極寒の大雪日和であったのは何の因果かはたまた符合か。



那津義に命を救われたあの場所にて、獣は死を迎える事となる。