『雨後の筍のようによくもまぁわらわらと……されど圧巻じゃな。その意気や良しと、余は褒めて遣わそう』
最後の大罪人こと樹矢を屠った後の現在。
新たに出現したおびただしい数の自爆霊の軍勢に上下左右は勿論の事、自身を中心に360°余すこと無しにぐるりずらりと取り囲まれたパスカルは、労いとも嘲りともどちらとも取れるような言葉を吐いた。
『それだけの数で攻められたならば、ひょっとすれば押し負けるかもしれんよのぉ。おぉ怖い怖い』
『はんっ。この大噓吐きが。その余裕面、今に引っ剥がしてやるから覚悟しろよ。上等、非常に上等』
その身を凡そ5,000体ばかりに増殖させた自爆霊達が、一斉にパスカルへと敵意を向ける。
樹矢より譲り受けたレベル3の固有能力の恩恵によって、初動よりも遥かに強化された5,000体が皆、一触即発の雰囲気をあらわにしている。
『おべんちゃらではなく本心だがのぅ。全方位より織り成す波状攻撃、同時に自爆する事で発される力量は、さぞかし凄まじいものなのだなという、只の感想じゃ』
『なんならそれだけではなく――本命は後ろに控えている そ の デ カ ブ ツ であろう?』
『……かもな』
満天の星空のように散りばめられた自爆霊達の、更に向こう側。
パスカルの前方――方角にして南方の一面は、橙一色に塗りつぶされていた。
一見して夕焼け空切り取ったかのようなそれは、しかし勿論そうではない。
横幅57892.84メートルにまでその身を膨らませた 超 弩 級 の 自 爆 霊 そのものであったのだから。
『かつての師匠のパクりみたいで芸が無ェのはやまやまだとしても、今のあたし達が出せる最高火力を目にしてる癖に、ちっとも焦りが感じられねぇなぁオイ』
『分裂に膨張、ないしは合体か。たったそれだけで余に打ち勝とうという浅はかさに、心底呆れているだけよ』
第三回戦に敗退した央栄士(おうさかつかさ)が得意としていた、巨獣具現之型。
対峙する者に“実際に巨大な獣に襲われる”幻視が映る程に練り上げられた、象形拳の最終形。
無論、これは幻視などではなく実際に存在するある意味では因子の集合体に他ならないのだが、その破壊力は術者である自爆霊自身にも測りかねる、尋常ならざる力を内包していた。
『宣言しよう。貴様が放つその全てを以てしても』
パスカルは高らかに言う。
『余は滅さず耐えきってみせようぞ』
そしてその一言が引き金となり、全ての自爆霊が一瞬く光の渦と化した。
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無色透明な虚空の中、とある物体が揺蕩っていた。
歪で刺々しい、線の細い骨格は、人間と犬とを足して2で割ったかのような外見を醸し出している。
『…………』
異形の骸骨、もとい。
パスカルである。
大罪人の固有能力・潜在的能力の大半を引き継いだ自爆霊達により繰り出された、決死の攻勢を受けつつも、しかし彼女は未だ死に至っていない。
現世と煉獄の狭間である空間全域を消滅させる程の暴威を振るった、幾多爆々流星帯-ボムミーレイン-並びに群体集合積霊破-ナパームレギオン-をもってすら、パスカルの全てを消し去る事は叶わなかった。
『…………』
一言も発さず、それでいて微動だにしないパスカルは、勿論疲弊し切っている訳ではない。
骨格以外の全ての部位を爆撃により焼失したが故に、喋れないし動けないのであった。
『…………』
全てが終わったと、彼女はそう思っていた。
周囲に己以外の存在は感じられない、あとは時間をかけてこの身を再生させ、万全な状態に戻した上で並行世界へと足を運ぶのみ――と、思案に耽っていた最中、声が聞こえてきた。
(正直な所、これは賭けだった)
(とても拙く薄く細く心許ない、喩えるならば経年劣化を経た脆い吊り橋を全速力で走り抜けるかの様な、確証の得られない賭けだった)
『…………』
男の声である。
幼さを残した聞き覚えのある、そんな男の声が聞こえてきた。
(増殖も巨大化もあくまで前振り――これでもかってぐらいに分かり易く 最 後 の 特 攻 を か け る と 思 い 込 ま せ る 目 論 み は、どうやら成功したみたいで、良かったよ)
(念には念を重ねて、敢えて君の目の前で 絶 命 しておいたのも正解だった。お姉さんに頼めば防ぐ事も可能だったろうけど、それよりも君の注意を出来る限り逸らせておきたかった)
『…………』
重ねて、周囲には己以外の存在は知覚出来ない。
否、知覚出来ないのは当然であって、何故ならばこの声は己の内側から響いてくる様であって。
(対象に免れない致死を付与する至福暗転-レフトプッシュ-は、相手を必ず死に追いやれはすれども 魂 ま で は 滅 ぼ せ な い という仮説は、どうやら正しかった)
(あるいは意識とでもいうのかな? 肉体は死ねども、僕の存在そのものは無くならなかった訳だし)
『…………』
声はすれども、影すら見えない、現在の現象は。
もしかしたら、もしかしなくても、つまりは 意 識 自 体 を 結 合 さ れ て し ま っ た という、結論に至る。
(【フーズフール】――辺閂が使い手であった 死後に発動する精神寄生の固有能力)
(まんまと君の精神なり意識なりと動機出来た訳だが、うん……。強がりでもなんでもなく、僕という存在はあと1分も持たないだろう)
『…………』
覚醒者にまで昇華した大罪人といえども、所詮は人間。
四百余年に亘り蓄積された己の怨恨怨嗟を直に体感すれば、耐え切れずに消滅してしまうのは必然ではあるが――。
(あと少し待っていれば勝手に滅んじゃうんだろうけど……そうは問屋が卸さないんだよねぇ)
(十年弱付き合いのあった身体を犠牲にした上で今から僕がしようとしていること、なんだか分かる?)
『…………』
男の声に応じずに、パスカルはこの事象の顛末を模索する。
自身の死をも省みない、狂っているとしか考えれないブラフが生み出す、この先の顛末を。
(事実、君は僕に対して憎亞瀑破を発動しようとしない――いや、出来ないんだろう)
(思念体そのものを攻撃出来ない君は、束の間とは言え君と精神を共有している僕に対して手を出す事が不可能なんだから)
『…………』
人間を除く哺乳類は得てして 自 殺 と い う 行 動 は取れない様にプログラムされている。
独自のコミュニティを築き上げる社会性昆虫の中には自己犠牲的な(端から見れば自殺とも捉えられる)行動を取る例もあるにはあるが、生殖と労働を行う個体が分かれていない――あまつさえは 種 を 残 す 必 要 な ど 皆 無 な 程 に 超 越 し た 高 次 の 存 在 に進化したパスカル自身――理論上自殺という行動は 1 0 0 % 有 り 得 な い のである。
(さぁて。そろそろ時間も差し迫って来たことだし、有終の美を飾ろうじゃないか)
(固有能力の大半を明け渡した来た代わりに 今 の 僕 だ け が 持 ち う る 特 性 を、ばちんっと轟かせてやろうじゃないか)
『…………』
持ちうる武器であるその殆どの固有能力を捨て去り対価として受け継いだ特性により為し得んとする、密着が前提の荒業。
外側からが無理ならば内側から諸共を破壊尽くさんという、捨て身の覚悟すら凌駕する狂気の所業。
(何か言い残す事はあるならちゃんと言ってね、最後だし)
(辞世の句ぐらいは、聞いてあげる)
橙色の輝きが浮かび上がり、烈しくも緩やかに発光するパスカルの異骸の内側にて。
初めて男以外の声が、反響した。
(見事なり。天晴じゃ、余に悔いは無い)
(グッド。それじゃあさようなら)
そんなやりとりの後。
乾いた炸裂音を合図にして。
一連の物語の幕は、下ろされたのだった。
【最終話 了】
※あともう一回、後日談の更新をラストに、終わります。