天総角城を脱した後に辿り着いた、要はこの世に生を受けた始まりの地にて。
那津義の寵愛を授かりし獣は絶命した。
親兄弟を食い散らかした大熊の子孫ら――総勢四十二体にも及ぶ天敵からの手厚い歓迎会の結果が、それである。
絶体絶命の状況にありながらも、獣はそれこそ長年にわたり野生から遠ざかっていたにもかかわらず、襲い来る数多の残党から逃避することなく真っ向から勝負を挑み、結果として一匹も討ち漏らすことなく、灰色の軍勢を軒並み物言わぬ肉塊へと有り様を変える事に成功した。
孤軍奮闘以上の戦果を人知れず挙げた獣ではあったが、四肢は千切れ飛び、骨はひび割れ砕け、頭蓋に至っては脳髄が半分零れ落ちるまでの損傷を負ってしまったのだから、死は免れざるを得なかった。
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「なぁ、コロや。一つの言い訳と悲痛なる儂の願いをを聞いてはくれんかの」
「散々好き勝手やらかして、邪知暴虐の限りを尽くして、人道に外れた支配者にしか、大勢の民からすると見えなんだかもしれんが――」
「儂にはそれでも、確固たる信念という名の下に行動をしてきただけでしかないんじゃ」
「あの聖令にしてもそう。
「“人を殺してはならない”だったり“他の物を盗んではならない”だったり」
「かような雑把な例をあげつらえたとしてもいわゆる決め事――あらゆる禁忌は、自らの権益を保守するが為の詭弁に過ぎないと罵られようとも」
「為すべきことを成し遂げるには手段を択(えら)ばず、極端には何をやってもよいのだと、儂は考えていた」
「祖父から受け継いだ、引き継いだ火本国の統治」
「大目的はそうだったんじゃが、根っこの部分では本質的には異なっておる、単純な理由にしか過ぎん」
「人間らは等しく滅ぶべきである、とな」
「立場や境遇、得手不得手等の個人的な技能差を抜きにして、害でしかない儂らは、きっと存在するべきではないと思う」
「この先刀や銃よりも優れた兵器が実現化した際、放っておいても勝手に自滅するとしても、それまでは待つ事が耐えられずに奮起したが――寿命には勝てなんだよ、ははっ」
「言い訳はここまでで、ここからが悲痛な願い」
「人の枠を超えられなんだ儂に出来なかった、異常なる願望と捉えてくれても構わぬ」
「実行するかどうかは任せるし、強制ではなく任意でしかないが……さて――」
「改めてになるが、コロや」
亡き儂の代行者として、生きとし生ける人間全てを絶滅さしてはくれんかの。
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雪の吹きすさぶ中眠る様に目を閉じ鼓動を止めた獣が、意識を失った後に見たのが前述の、かつての主が自らに語り掛ける場面である。
いわゆる幻聴なのかよくある幻視なのか。
あるいは幻覚ともはたまた現実とも捉えられる、しかしそれでいて断定するに困難な、夢と現との境目をゆらゆらと揺蕩うような、はっきりしつつも曖昧な一場景。
人間全てを滅ぼせなどという荒唐無稽な願いを託された獣は――ほどなくしてその地に、再臨した。
肉体を持たない霊的存在。
吹けば飛ぶような取るに足らない――あたりを浮遊する下級霊にも劣る矮小な弱者以下でしかなかったが。
あくまでそれは当初の話。
生への執着を捨て去った超越的存在だという確固たる自我と共に。
果す為ならば他一切の犠牲を鑑みないという冒涜的な自欲と共に。
あるがままに、あれよあれよと、力を蓄えていったのだった。