「二か月間……まぁこれは体感的な話であって実際は1か月位なんだろうけどさ。時に少年、このゲームから解放されたら、一番したい事って何かな?」
「一番したい事、ですか。そうですね、とりあえず生活苦から逃れられそうなので、家族と一緒に何処かへ旅行にでも、とかでしょうか」
第三回戦開始より凡そ一時間が経過する中、余物樹海を彷徨う二人の人影があった。
西乃沙羅並びに、南波樹矢である。
「おーいいねぇ。行楽とはオツなもんだ。親子水入らずに割り込む程厚い面しちゃあいないが、当然彼女の私とも別で行ってくれるんだよな」
「あの、前々から気になっていたんですけど。僕ってば西乃さんに未だ正式な回答をしていないですからね」
「了承が無いとはイコールで拒否されていないと認識しているんだが、そこらは少年の気持ち次第だからねぇ。ま、気長に待つよ」
「はぁ。あ、じゃあ質問を返しますが、西乃さんはあるんですか? 終わった後に一番したいことって」
「あるよ。下手すりゃ終わる前にケリつけれるかもしれんけど、ぶっ飛ばしたい奴が二人、いるからねぇ」
「穏やかでないですね……」
「そりゃあ身内を巻き込まれたらブチ切れもするだろうよ。ベノムエンターテイメント代表の逆木とShilbiaこと銀城。こいつらはとりあず全力でブン殴るって決めているんだ」
「国民的アイドルユニットのセンターとその事務所のトップに、何の恨みが?」
「え、気付いてないの? 二回戦が始まる前、少年とあの桃豚女が何度か私の家に来た時に面識あっただろ、弟の迦楼羅。何ならここに来る前の道中にも喋ってたじゃないか」
「そうでしたっけ。弟さん……僕、会ってましたっけ」
首を傾げ、尋ね返す樹矢。
「間違いなく会ってるよ。で、あのデスマスクの村雨って進行役、たぶん迦楼羅。爺に腕折られた時に急に歌い出しただろ、あれでほぼ確定よ」
「ですか。で、その迦楼羅さんと先ほどの二人にどのような関連性が?」
「だーかーらー! ZZ(ダブルゼータ)のセンターの片側がKAluLaで私の弟なの! アイツは容姿端麗の癖して超絶コミュ障で、仲の良い奴といえば同じセンターの銀城ぐらいしかいねぇし、それが直接の原因で無いとしてもテメェの食い扶持である看板っ子の手綱緩めてた逆木にも責任があるだろ!? お姉ちゃん的には不愉快、非常に不愉快なのさ」
「そうなんですね。というか僕、西乃さんの弟さんが ア イ ド ル だ っ た な ん て 初 耳 だったんですけれども」
「ふぅん……どうにも話が食い合わないね」
違和感、些細ながらもそれは明らかな差異であった。
不審に感じた沙羅は、彼氏に黙って使うのはなんだかズルをしているようで気が引けていた理由から今まで使用してこなかった固有能力【ピーピングボム】にて打診を行うも、どうやら樹矢は嘘偽りを述べている風には見受けられない。
(忘れている。いや――おぼろげには覚えているんだろうけど、どうにもすっぽりと記憶が抜け落ちている)
(人為的な情報操作か、あるいは運営側に何らかの不都合があるが故の緊急措置、とかか?)
喩え様の無い不吉な兆候に顔をしかめ、更なる追及を行おうとした沙羅であったが、ぞわりとした悪寒を後方より感じ振り返ると、そこには。
「こんにちわ。二度目の初めましてですね。そしてこれが最後の挨拶になるでしょう」
追跡者が一人、天獄からの刺客――皇飯屋が立っていた。
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マーブルとイエローが綯い交ぜになっているボブカットに、中東の民族衣装を模した細長い布切れを身に纏った、翼を生やした異形の存在。
マンガやゲームといった架空の世界では、いわゆる“天使”の分類に振り分けられるであろう、超常的な存在が現実、沙羅と樹矢の視界にくっきりと存在している。
「出やがったな、優男。で? 私達に何の用だい」
不敵な表情を浮かべながら挑発的な言葉を返す沙羅に対し、皇はやれやれと肩を竦めて、ゆっくりと首を左右に振る。
「決まっているでしょう。大罪人たるあなた方を断罪するのがこの私の役目なのですから。とはいえ、哀れな人の仔やらにも慈悲は示す必要がありますからね」
「慈悲だと?」
「えぇ。慈しみと悲しみの心を持って、選ばせてあげましょう」
肩から生やした翼をふわりふわりと揺らしながら、皇はゆっくりと提案という名の一方的な要求を告げる。
「 自 害 なさい。さすれば悠久の罪は禊(みそ)がれ祓(はら)われ、我が主も魂の救済をきっと授けて下さる筈――」
「はんっ! 醜悪、非常に醜悪。綺麗ごとほざく割にゃあ、どうしてドス黒い心の持ち主だなてめぇは」
右足をだんっと地に叩きつけ、沙羅は口元を歪め、嫌悪の意を表した。
「『ゴミに等しい下等生物などと何故この高次たる存在の私が接点を持たねばならねぇか』だって? 思いっきり見下してんじゃねぇかよボケナス」
双眸は閉じられたままではあるものの、ここで初めて皇の柔和な表情が硬直する。
「それにてめぇがいう主ってのはこのゲームの主催者とは 別 に いるんだろう?」
「元来天使って奴ぁ忠義心の高い奴隷体質の集まりだと思ってたが、案外違うんだなぁ」
「一時的だとしても他の者に仕える ク ソ 浮 気 野 郎 とは、恐れ入ったよ。畏怖、非常に畏怖。底が知れるな。はんっ!」
(村雨から参加者に対しての事前情報の開示は無かった筈なのに)
(なのにこの下等生物は何故こちら側の実情を把握しているのか)
表現の違いこそあれど、沙羅の言い分は遠からず当たっていた。
西乃沙羅。大罪ランク2位、恋愛依存症。
司会者である村雨より、沙羅は勿論の事、現存する参加者の固有能力を大まかに聞いてはいたが。
彼女の持ちうる【ワンダーラビット】は身体能力を爆発的に高めるものだと知覚していた皇は、ここで少し認識を改める必要があるのだと、多少警戒の必要性を迫られる。
「ご明察、とでも言えば満足ですか? おっしゃる通りですよ、脳の肥大化した猿にも等しい、地に縛られた下賤なる者どもになど、憐憫の意など一切ありません」
「御託はいいから、さっさとかかって来いよ」
沙羅自身、五体満足で眼前の追跡者に勝てるなどという浅はかな考えは決して持っていなかった。
与えられた反魂玉で3回まで死ねるとはいえ、非戦闘員である彼氏を携えての強行軍である。
油断はしていなかった。微塵も驕る気持ちは無かった。
公言している偽りの能力である【ワンダーラビット】とは別に、彼女の真の固有能力である【ピーピングボム】をもってして、追跡者の皇飯屋の隠し持つ武力を、事前察知するべきであったのかもしれない。
今となってはもはやたらればに他ならず、事が起こってからでは遅すぎたのだとしても。
しかしそれでも、これより引き起こされる凶事に備え、彼女はもう少し踏み込むべきであったと言える。
「話し合いは無駄、ですか。ならば為す術無しに滅びなさい」
15~20メートルほど離れた位置に立つ皇は、不意にすっと右手を前へと突き出した。
掌が向けられた先は、敵対心剥き出しの沙羅ではなく、
状況に付いてこれていない無防備すぎる樹矢へである。
「Ego exortum est gun,falls tonitrua」
瞬間、目が眩む程の明るさを伴った一陣の閃光が発せられた。
射出のタイミングと同時に対象へと到達する、光速と等しい速度を持った、不可避の速攻。
突如として発せられた閃光に片目を瞑ってしまった樹矢は、ワンテンポ遅れて己が身に起きた惨劇に震撼する。
「うっ……かっ、かはっ…………!」
顎を引いて視線を下げた胸の辺り――丁度心臓がある辺りが、ぽっかりと空洞に変わっていた。
気付けば呼吸が出来ておらず、麻痺が解け始めると同時に、尋常ではない程の熱量が、貫通した肉の周りをブスブスと焦がしていた。
「!? おいっ少年ッッ!!」
膝をつき崩れ落ちる樹矢に対し駆け寄る沙羅。
その光景をさも愉快そうに閉じられた両の眼で眺めながら、皇は歌うように言葉を紡ぐ。
「“手を下す”とはよく言ったもので、ふふっ。この場合は“手をかざす”の方が表現としては正しいのでしょうけれど」
「ともあれまずは一回目。あなたの大切な存在を、触れる事無くあと三回、止めを刺してさし上げましょう」
白熱した手をぷらぷらと振りながら、悠然と佇む皇を睨み、沙羅は冷静さを欠く憤怒に支配されつつあった。
(殺す……絶対に殺す……)
肺へと許容量一杯までに酸素を供給する大きな深呼吸をした後、沙羅は意識を遮断した。
(食い散らかせ――暴走狼之型)
黒目がぐるりと回転し、剥かれた白眼へと変えながら、女狼と化した沙羅は皇へと飛び掛かっていった。
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「時に人の仔らよ。仮に大罪人で無かったとしても、その身が業を蓄積することなく生涯を終える確率の低さを考えたことはありませんか?」
胴回し蹴り、正拳突き、肘撃ち下ろし。
「生物であるが故に生体ピラミッド下層の命を奪いながら生きていくことに、疑問を感じたことはただの一度でもありますか?」
膝蹴り、正中段貫手、振り上げ踵落とし。
「無いとは言わせませんよ。私が言いたいのは、嘆かわしいことに『だからって別にどうでもよい』と思いながらも、醜く生き永らえるあなた達が不快で不愉快で不全極まりないということです」
裏撃ち、両腹鉤突き、側頭部肘撃ち。
「せめて情けなくしおらしく生きるだけならまだしも、負の感情は留まることを知りません。嫉妬に強欲、暴虐に無知。薄汚い感情に塗れながらも、建前上は公平性をいの一番に唱える……汚らわしい」
下段足刀、踏み込み膝蹴り、回転踵落とし。
「ならば他者と比較することで社会性を保っている? 無様な、笑わせるのも大概になさい。そこにオリジナルの個というものは皆無、紛い物の贋作揃い。劣化コピーの関の山が、甚だ傲慢たる物言いに違いありませんね」
背足蹴り上げ、胴回し蹴り、正拳突き、肘撃ち下ろし、足甲踏み砕き、膝蹴り、正中段貫手、振り上げ踵落とし、右側頭部手刀、下段足刀、踏み込み膝蹴り、回転踵落とし、左足払い、胴回し蹴り、正拳突き、肘撃ち下ろし、右中段順突き、裏撃ち、両腹鉤突き、側頭部肘撃ち、右中段鉄槌、下段足刀、踏み込み膝蹴り、回転踵落とし、後背肩当身、胴回し蹴り、正拳突き、肘撃ち下ろし、裏撃ち、膝蹴り、正中段貫手、振り上げ踵落とし、両腹鉤突き、側頭部肘撃ち、左側頭部掌底、下段足刀、踏み込み膝蹴り、回転踵落とし、中下段正拳突き、両肘振り下ろし、脊柱挟み撃ち、中下段二連後ろ回し蹴り、上中下段三連足刀、五連鷹爪脚、七連虎爪牙、十二連肘踵撃ち乱打。
「おや、息切れですか。私が吐露したい事象はまだまだあったのですけれど、案外スタミナが無いのですね」
「……フゥーッ、フゥーッ……! ……シューッ、フゥーッ……!!」
大きく肩で息を吐きながら、沙羅はほんの畳一枚ほどの距離で追跡者たる皇を睨み付ける。
暴走狼之型。
曰く、沙羅が得意とする白兵戦における構えの一つである。
第二回戦において冥奈に使用した塗壁之型のコンセプトである“超攻撃的な守備”と似て非なるこの型は、自意識を遮断し闘争本能のみにスイッチングを行う事で、制約として生じる無呼吸状態が続く限り、延々と対戦相手への打撃を繰り出し続けることが可能。
まるで獣を宿したかのような獰猛な攻撃回数は、2分5秒間においてその数、189手にも達した。
だがしかし、対峙する皇にたったの一発も決定打を与える事無く、彼女は制限時間切れを迎えてしまう。
分厚い布のような両翼にて身体を覆い、時には受け止め、時には受け流し、あまつさえはばたきによって自重を浮かすことにより、追跡者は沙羅の猛攻をなんなく耐え切るに至ったのであった。
(マズいねぇ……ここまでイイのが入らないとくれば……こいつひょっとして――)
知ること即ち絶体絶命に繋がるであろう未来を憂いながら、沙羅は固有能力【ピーピングボム】によって、不本意な答え合わせを実行せんとした際であった。
「沙羅さんっ、大丈夫ですか!」
後方より、樹矢の悲鳴にも似た呼びかけが聞こえてくる。
振り返った刹那、沙羅は首筋に鋭利な鎌先をあてがわれるような残滓を感じた。
(やっ……ばいッッッ!!!)
足首・膝・腰部を全速力で稼働し、地面へ渾身の頭突きを当てるが如く、沙羅はその場に自ら倒れ伏した。
一呼吸も置かない間に、再び先ほど見た閃光が横薙ぎ一線、真一文字に軌道を描く。
辺りに群生する樹木が幹を切断さればたばたと倒れ落ちていく中、沙羅は樹矢へと叫んだ。
「一時撤退だ少年! ここは私がなんとかするから、とりあえず全力で逃げろッ!!」
尻もちをつきながらその場にへたり込んでいた樹矢であったが、沙羅の意図を組んでか否か、上体を起こしその場から脱兎の様に逃走を図った。
「おやおや、ずいぶんと勇猛果敢な伴侶をお持ちなんですね。でも残念、不本意ではありますが後ろから一思いに――」
「てめぇのそのビーム兵器は連続で撃てねぇし、なんなら殺傷能力も精々十数メートルだろ? ったく、嘘ばっかり言いやがって。何が天使だよ、ペテン師の間違いだろうが」
彼氏の無事見遣って、呼吸を整えながらも沙羅は悪態をついた。
「ふむ。どうやらあなたは 他 人 の 心 を 読 む 能 力 をお持ちなようだ」
頬を上げ、やや驚嘆しながら皇はもはやそうであると断言するかのように沙羅へと言葉を投げかけた。
「ご名答。今までさんざ隠してたけど、終盤戦だし出し惜しみは無しだ。その通りだよ優男」
「啖呵を切るのは結構ですが、それならばもう分かっているのでしょう? 読心が可能であっても、この私に勝てない理由とやらを、あなたはもう読んでいるのでしょう?」
肩口から腰周りを包み込むように畳んだ両翼を翻し、皇は言った。
「“ブリューナクの槍”を回避できたとしても、あなたは絶対に私に勝てない。何度でも繰り返して言いましょう。だって私は―――― 未 来 を 予 測 す る こ と が 可 能 な の で す か ら 」
高らかに明言する皇の一言に対し、沙羅は絶望する。
(やばい。これどうやって勝つかマジで分からん……)