記憶の消失――あるいは、思い出の喪失と言い換えてもよいのかもしれない。
未成年で人生経験に乏しいとはいえ、捉えようによっては掛け替えのない思い出の数々を、死に入替わるごとに無くしていくゆく。
樹矢にとって感慨深いモノから消えていくかと思いきや、〇年〇月〇日〇曜日の晩御飯はどのような献立であったりかだとか、〇〇歳前日に風邪を引いて体調を崩した一日についてであったりだとか、むしろ覚えていても覚えていなくてもどちらでも構わない様な記録が無くなっている事に、樹矢はふと気が付いた。
その気付きによって、ある仮定が思い浮かんでしまう。
程度の差こそあれど、このまま思い出を失い続けていくにつれて、いつしか――
今 現 在 必 死 に な っ て 戦 っ て い る 動 機 す ら も 忘 却 し て し ま う の で は な い か という――恐ろしい仮説を。
無尽蔵にあるように感じられる思い出という概念は、しかしけっして有限ではない。
イコールでその内いつかは尽きる、ということだ。
よしんば、尽きる前に 忘 れ て は な ら な い 事 を 忘 れ て し ま う 可能性だって十二分に、ある。
当初、樹矢は自分の死亡回数を脳内にてさながら羊数え歌の様にカウントしていたのだが、500に至った時点でその行為を止めてしまっている。
この先数えていた事を突如忘却してしまうかもしれない事を懸念するよりも、大切な事象。
目的でありゴールであり、つまりは終着点。
無駄な思考を削ぎ落した上で、一刻も早く眼前に君臨するパスカルを撃破する必要性を喫緊の課題であると再認識したのだから。
幸か不幸か、並行世界の自分を呼び出し無事な肉体へと自己を引き継ぐ能力の行使によって生じる こ の 副 作 用 自 体 を 忘 却 す る アクシデントには、幸いにも未だ見舞われていないとはいえ。
よもやそれがいつ何時訪れるかが、樹矢には測れない。
予測しえないが故に、対策を練れる訳もない。
ならばこそ憂いに沈まない為にも、半ば無理矢理に己を鼓舞し、戦闘狂を装って、好戦的な道化を演じるのが吉である。
樹矢は、そんな風に考えたのだった。
幾多数多の死を乗り越え、残すパスカルの形態変化はあと一つ。
その最後のひとつを越えた先、外すことは許されない一発必中最大出力攻撃の瞬間まで、残り僅か。
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(こ奴は果たして分かっているのだろうか)
復元及び複製――ひいては自己再生能力に特化した第十形態である醜酉(シドリ)を経て、いよいよ最後の蛮亥(バンイ)へと豹変したパスカルは、声に出さず独白した。
(戦えば闘う程に、倒せば斃す程に、余は本来以上の力を得るのを知った上で、何故止まらぬ)
形態変化ごとに具現化する黒鎧は、いよいよ頭部を残すのみとなる。
アレが完成すれば、もはや人間如きではどうにも出来ない彼我の戦力差が確立されてしまうというのに。
(それともなにか。具体性を伴う策を、切り札をこ奴は隠し持っておる、とか)
だとすれば思慮に欠ける行動だと鼻で笑わざるを得ないと、迸る殺人光線を全方位に撒き散らす巨牙を破損しながら、パスカルはそんな事を思った。
「威力自体はあの天使野郎よりか強力だけど た だ 強 い だけじゃあ、所詮それまでだよねぇ!」
身体の至る箇所を蒸発させつつも、もはや恒常化しつつある数多の自分との入替わりにより、結果的にノーダメージに落ち着いている樹矢は、口角を歪めながらパスカルへと水を向けた。
『よくもまぁ……だが現実はあるがまま、か――』
負傷許容範囲超過による体組織の崩壊に伴い、崩れゆく体躯より不定形のアストラル体が浮かび上がり、樹矢の脳内へ直接声が響いてきた。
『最弱の大罪人よ、余は貴様を褒めてつかわそう。お陰で手間が省けた、儲け物じゃ』
「ハァ? なになになんなん、ここに来て負け惜しみ?? ダサい通り越して哀れ過ぎんよぉー、ぶっちゃけマジかお前的な???」
『先刻、貴様を木乃伊(ミイラ)化した際、余は貴様を喰らおうとしたが、あれは偽り。振りでしかなくてのぉ』
実体を持たないパスカルは頭部含めもはや完成された黒鎧へと吸い込まれながら、滔々と語り掛ける。
『然様な追込みをかけた結果、貴様はより上の段階へと登って来た訳じゃが』
『もはや手遅れよ。ここから先、貴様は 何 を し て も 無 駄 でしかないのだからのぅ』
ドクンッ、と。
黒鎧の表面にびっしりと広がる血管が束となり、一際激しく脈打つのが樹矢からは見えた。
『仮初の姿、十一の穢れの衣を脱ぎ去った今、真の姿へと変わったならば貴様如きの――』
「悪ぃけど、そのテンプレ的な問答、途中で切り上げさせてもらうわ」
昂る語気を震わせながら宣誓するパスカルを遮り、樹矢は言う。
黒鎧と一体化しつつある気配を察して、彼は既に行動を開始していた。
いやさこの場合――開始と同時に終了していたという表現も、同義に限りなく近しいとも言えた。
『ゲッゲッゲッ! ジジイの次はガキかヨ! でもマァまた暴れられるのは嬉しいシ、オヤカタサマ相手に全力を出せるっつーのは楽しいナァ!!!』
黒い三角巾を付けた、肘から先と腰から下とを消失させた起爆霊が、一体。
央栄(おうさか)と共に 消 滅 し た 筈 の 真 韻(まいん)が いつの間にやら樹矢の傍へと佇んでいた。
金属片をこすり合わせるかの様な声が反響すると同時に、その身を使役者たる樹矢へと重ねていく。
パスカルが変貌を遂げるよりも、少しだけ早く。
彼が現状出し得る最大火力の放火が、準備不十分であるパスカルに向けて撃ち出される。
「固有能力レベル2.5【アグニズレター】」
「ひとかけらをも残さず――燃え尽きろ……ッ!」
橙色の爆炎が、見渡す限りの一帯を、呑み込んだ。