自爆霊穂“無実ちゃんと十一人の未来罪人

長編ちっくなweb小説の形をした何か。完結済。

死闘録-シンズデリート-Ⅱ

“ナメクジに塩を振りかければ溶けてしまう”という現象。


それは大半の人間が知識として持っているか、あるいは子供時分に実践した経験があるのではないだろうか。


周知の事実とは言えども浸透圧の兼ね合いから、塩が触れることにより「溶ける」のではなく体の水分を失って「縮む」というのが、実際には正かったりする。


こと樹矢の場合、実寸サイズで被ってしまったのだから、ひとたまりもなかった。


相手の打撃とほぼ同時に身体を液状化し無力化を図ろうとしたタイミングで、三体に分裂した内の一体のパスカル――ウサギを模したそれは、突如破裂し微粒な粉塵を辺りに撒き散らした。


宙を搔くだけでも掌に一山が出来るほどに濃密な粉のベールは、至近距離に居た樹矢の水分を急速且つ急激に吸収し、事態に気付くな否や【ジェルバード】を解除するも既に後の祭りな手遅れであって――結果、樹矢はミイラ状態になってしまったのだった。



『おろ? てっきり上手に躱すか防ぐかすると思っておったのじゃが、終いか。呆気ないものよのぅ、ほっほ』



「......ぁ............ぅ............か............ぁ......」



分裂した三体がぐるりと取り囲むようにして己を見下ろすパスカルに対し、樹矢は言葉にならない呻き声でしか反応が出来ない。


体内の水分を7割弱失っているのだから、何なら意識があること自体が奇跡的ともいえる。



しかしはとどのつまり、絶体絶命。


相手を無力化したに違いないと確信を持ったパスカルは、一切の警戒を怠り、じゅるりと音を立てて口元を拭った。



『貴様はよくやった。十分過ぎる程もの敢闘を、余を相手にしながら立ち回って見せた』


『世辞ではなくただ事実を述べているだけである』


『過去如何なる大罪人共であっても、せいぜいトラフに変わるか変わらないかの間に力尽きおったのだから、もっと己を誇るがよい』



とはいえ第四第五第六を同時に復元した余も少々やり過ぎだったかと反省しておるわ、などとパスカルは嘯いた。



(迂闊だった......ここまで見事にカウンターを決められるなんて……)


(痛みが無いのは不幸中の幸いだとしても……指先すら動かせない……というかこのままだともうすぐで僕は――)



僕は死ぬ、と。


そう樹矢は思った。



不思議と恐怖を感じてはおらず、じきに訪れる終わりに身を委ねてしまうことによって、むしろ生きている内には得難い安寧を享受できるのではないのかという希望的観測が湧いてきているまであった。


(……違う、そうじゃあない。現状を棚上げしての、逃避を都合よく解釈しているだけだ)


ここで終われば――死を受け入れさえすればもう頑張らなくても良いという甘美なる誘惑を寸での所で断ち切って、薄れゆく視界を確かに感じながら、思考を切り替える。


(第二回戦中にまず一度……第三回戦では二度……この空間に来てからは四度以上……)


(片手じゃあ足りないぐらいに……僕は死んでいてもおかしくない経験をしているじゃあないか……)



シーンは違えども、彼こと南波樹矢は、回想通りゲーム中盤より何度も命を落としかけている。


否、巫羊液に浸かっての強制催眠状態ならまだしも、第三回戦では(反魂玉の効力あって存命しているものの)確実に二回は死んでいる。


疑似的にではなく現実的に生命活動を止めてみせた経験を幾度となく積み上げた過去に対して、よもや呼吸すらも困難な有様にて死を待つばかりの現在。


ならば、その未来は如何様(いかよう)か。


今わの際において彼が最終的に選んだのは、果たして。



(ならば怖がる必要も……むしろ我慢する必要なんてものは…………ある筈も訳も道理も何処にも――――無いッ!)




博 愛 依 存 症 を 脱 却 し た 生 存 本 能 を 超 越 す る 漆 黒 た る 意 志 の 如 く 。




最後の大罪人を飾るに相応しい、澄み渡った醜悪さを解放した、記念すべき第一歩を踏み出した。



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何が起きたのか判断しかねるというのが、その時のパスカルが感じた率直な感想。


戯れはあっけなく幕を下ろし、眼下に横たわる大罪人の心臓を食せば儀式は完了し、凡そ四百年に亘る停滞期間にようやく終止符を打てるだろうと確信した、その刹那。



分裂した三体が三体とも、前触れなしに身動きが取れなくなるなんて事は、全くもって想定外であった。



『これは一体――』


身体の芯から底冷えする様な感覚から、どうやら自分は凍っているらしきことが、辛うじて判断出来た。


首から下の部分をすっぽりと覆った透き通るような純氷が、その気泡を一切含まない透過性をもって、濡れるような光を放っている。


(細胞ごと凍結させられた――だとしても、解せん。瞬きする間も無い一瞬の出来事に於いて、純氷なぞは……?)



急速に凍らせる氷に対し、時間をかけて凍らせる純氷は、透明でいて元来の其れに比べてより硬い性質を持っている。


通常であればマイナス10℃にて48時間かけてゆっくり冷やさなければならないものを、何故に一瞬で??



そんな疑問符がふつふつと浮ぶ中、背後から声が聞こえてきた。


含み笑いをかみ殺すかのような、どことなく正常性に欠ける言葉を添えて。



「不思議? それとも意外?? なんでだろうねぇ、理外の現象を生み出す固有能力による事象だとしても、いきなり喫茶店のアイスコーヒーのグラスに入っているような氷に埋まっちゃうなんて」



「それぞれの大罪人が持つ固有能力――そのルーツというか祖たるあなたでも知り得ない、そんな結果が起きるなんて」



『物体の温度を下げる術は過去にはあったが、だけでは今の余の状態に説明が付かんでな。一体、どんな手品を使ったのじゃ?』



低温状態により既に筋肉繊維が壊死を始めているのか、振り返れないながらも窮地を脱出したであろう樹矢に対して、素朴な疑問を投げかけるパスカル


「さぁてね。どうだろうね。今更科学の授業なんてまっぴら御免だし、何より一から説明するって負けフラグっぽくて嫌じゃん?」


先程までとは打って変わって明らかに挑発的な口調なのは、何か劇的な心的変化があったからであろうかと訝しむ反面、パスカルは内心では喜んでいた。


(嬉しい誤算じゃの――こ奴は、まだ高みに昇る素質を持っておるのか)



「つー訳で、こっからはガンガン飛ばしていくんで、そこんとこよろしく」



言って、樹矢はパチンと指を鳴らした。


それを合図として、氷柱と化した三体のパスカル目掛けて、摂氏1,200℃の火柱が立ち上った。


急激な温度変化から辺りには霧のような水蒸気の膜がもうもうと立ちこみ、べたついた肉の灼けた臭いをかき分けるようにして、新たな形態変化を完了したパスカルが姿を現す。



『本質、あるいは本性なのじゃな、今の貴様が』



「これぐらいどうってことはないだろうし、あなたにはまだ計り知れないぐらいに余力があることは、言うまでもなく分かっている。けどね……あっ! あぁああぁ~、きたっ。なんかきたっ」



再び具現化した端末をフリック操作し、両耳に掛けたヘッドフォンより流れる最高音量のBGMに合わせて、頭に浮かんだ韻を即興でご機嫌に刻む。



「全身全霊♪全力全開♫悉(ことごと)く変わるワン公♪都度ごとに斃すの最高♫」



ぶんぶんと頭を前後に振る彼の瞳孔は信じられない程に開き切っていて、その様相は内在する破裂寸前の狂気を如実に表しているようでいて。



「“汝右の頬を殴られたら相手の左頬に廬山昇竜覇”」



かつてのパートナーが言っていた一文を添えて、樹矢はゲタゲタと嗤う。




「溢れて止まない暴力衝動に溺れちゃいそうだからさ――責任とれよな?」




そんな風に、改めてパスカルへと宣戦布告を行ったのであった。