積上げられたCDのラックを掻き分けるようにして、男はまだ十分に長さのある煙草を灰皿へと放り込んだ。
「いやね、近頃この町ってばとっても物騒じゃあ、ないですか。先々月はちょうどこの先の区間でトラックが横転する事故があったし、先月は通り魔の多発に高校教師のなぞの失踪でしょ?もうね、呪われているんじゃあないかと、思うんですよね」
そしてまた新たに火を付け、煙草を咥える。至極とても旨そうに吸う男の口や鼻から、紫煙がダダ漏れになっていた。
「だからねぇ、あの日も俺は何かあるんじゃないかって、予想しちゃってた次第で。虫の知らせって奴?6と6が重なってたし、オーメンを連想するじゃないですか。え。しないって?ハハッ、君は見たところまだ若そうだし、ひょっとして知らないのかなぁ」
問いを投げかけられた女は、男に対しての問いには答えない。代わりにじっと視線を送る事で、続きを促している。
「そう急くなさんな。確かあれは朝方だったっけか。台風も来ていないのに、それはそれは酷い雨の日でしたよ。にもかかわらずあいにく人もまばらでしてねぇ。なんだか気が滅入ってしまって、今日は適当に流して終わろうかと思っていた矢先にですよ。子供がね、後方のシートに居たんです。ドアを開閉した記憶は無くて、余程ぼーっとしていたとその時は無理やり納得したんですが、やっぱりそんなことは無かったのだと今では確信があります。前置き無く突然に、そこに急に現れたんですよ。きっとあれはね」
「で、どちらまで行きますか?って職業柄尋ねたは良いものの、その子は前を指差して何も喋らない。保護者も同伴せずにこんな朝早くから一人の幼児が用事も無くタクシーに乗るなんてそれなりに、中々無いシチュエーションでしょう?事件性を疑ったりもしましたが、話のネタになるかなぁという好奇心が勝っちゃいまして。俺はゆっくりと車を発信させたんです」
男の芝居がかった口調が煩わしいと思いながらも、彼女は未だ黙っている。聞き入っている訳ではないにせよ、その後の展開を気にはなっている様相で。それはそれは無表情に、男の語る内容を聞いて聴いて、それでいて訊きはしなかった。
「退布高校を左折して、駅の反対側の市街地に出た所でね。ふふっ、これはもはやニュースになっているし過去の出来事として存じ上げているとは思うのですが。それでも敢えて、当事者だった俺の立場から言わせれば、驚愕でしたね。一歩間違えればそれこそ死んでいたかもしれない。いや、まぁ。誰一人死者が出ていないのも事実なのでしょうけど、ともあれ交差点でね。信号が赤に変わって一時停止中だった際にですよ、突如として」
突 如 と し て ビ ル が 三 棟 同 時 に 倒 壊 し た
「物凄い音でね。最初こそ地震かと思いましたよ。あるいはテロかってね。平和な火本國がですよ、理不尽な他外国からの暴力に晒されたんじゃあないのかって、善良たる市民の俺はそれはそれは心配を致しましてねぇ。でもそんなことは無かった、無かったんですよ。後に調査して判明したのですが、倒れたビルの三つが三つとも老朽化で自重を支えきれなくなったから。らしいですよ?うん、疑う気持ちはごもっともです。しかし専門家の偉い先生方がこぞってそのように結論を出されていますからね。覆そうにも覆せない。と言っても、後始末は凄惨を窮めるぐらいには、莫大な費用がかかったそうですが・・・・・・っと、話が逸れてしまいましたね」
「前方と右方と左方とが、倒れたビルで進行不可になってましてね。俺はてっきり夢でも見ているんじゃないのかってぐらいに、ぽかあんと口を開けて固まってましたよ。でね、そういや今ってば営業中でお客さん同乗中なんだって思い出して振り返るとですね、居ないんですよ子供が。ご丁寧に一万円札を置いてね、影も形もありゃあしない。ふふっ、この手の話ってば大抵こんな具合に終わるんでしょうけど、こと俺の体験した奴にはちょっとした続きがありましてね。雨に濡れた土煙の舞う、引き返しは出来るが前には進めない袋小路のその交差点にね。その子供が立ってるんですよ。バケツをひっくり返したような雨に叩きつけられて、傘も差さずにズブ濡れになって、ちょっとしてからついっと消えちゃいましたがね」
どう?俺の体験談スゴくねぇ?などと得意げな表情で片目を瞑る男に対して、彼女は能面のような表情を崩さないまま、一つの質問を投げかけた。
「――、――――。――――、――――――?」
気分を害したのか、男は途端に不機嫌そうなふてぶてしい態度で、回答を返す。
「はあ、そんな奴は周りにいませんでしたね。ていうか俺の話に対しての感想とかない訳?」
嘆息し、彼女は。
「期待外れにも程があるわね。精々そうやって矮小な脳味噌で残り余生を磨り潰すがいいわ、この無能が」
薄河冥奈は、後部座席より飛び出るようにして、夜の街へと消えていった。
―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―|―
時は巡りて遡り、場は打って変わって転換して。
海を背にしてひっそりと佇む、築5年と比較的新しい建造物である某社用マンションの屋上にて、3人の人影があった。
男性と女性と、そして子供。
それは見様見方によればうら若き家族の一団にも見えなくはない。しかしながら強風が吹きすさぶ大荒れの天候の中、男女と子供が対峙している構図的には、ファミリーっぽさはやはり微塵も無いのだろう。
「鬼ごっこはもう終わりか?幼き逃走者よ」
3人のうちの一人である男――北園が軽佻浮薄な表情を伴いながら、最も年齢の低い高低に向けて語りかける。
「不思議そうだな。いや、そうに違いないだろうよ。日中とはいえ視界不明瞭なこの最悪な天気の中、どうしてこうも短時間で“おねえちゃん”と一緒に追いついてこれたのかと、その気はなくとも顔に滲み出ているぞ童」
高低は、挑発するような自らへの物言いに返事を返さない。
「一つだけ断言しておこう。我は何も貴様のような特殊能力を持って移動してきたのではない。種明かしをするとだな――」
水分を含みくすんだ赤色の袴を両手でたくし上げる北園。
二本の脚には、長短の織り交ざったパイプのような管が、一見不規則にそれでいて規則的に、皮膚を突き破り生い茂っていた。
「金8%・パラジウム9%・銀3%・銅1%・イリジウム11%・亜鉛18%・その他諸々の希少金属・希価鉱石合計50%で形成された、この義足でもってほんの少し本気で走って来ただけだ」
「・・・・・・」
和楽芭公園にて、高低が同盟を破棄し逃走に興じた直後。
対象Aとなり制限時間が72時間から17分間へと一気に短縮された回理子から奪い取るようにしてボムみの憑依対象を自らに移した北園は。
回理子を背負った状態で空を駆り宙を駆け、目標である高低を追いかけた。
まるで蚤のように、地をそして壁を蹴り、通常人間が出し得る何倍もの機動性を駆使して、追いかけた結果、今の状況に至っている。
「それで……だ。どうしてお前は能力を使わないのであろうな。こんな切羽詰った状況で、何故他へと移動をしないのであろうな」
ひょっとして制限があるとか?等と北園は嘯く。
「・・・・・・」
「これはあくまで勘でしかないが、自分の周囲のプレイヤーの頭数で有無が決まると、我は予測している。それこそ東胴女史の体調不良は意図のしない偶然であるのだろうが、我を含めて貴様はタイミングを見計らっていたのではないのか?うん?」
ちなみにこれは北園ではなく回理子が移動途中に立てた仮説である。
当の本人は高熱に加えて激しい上下運動の余波で、両手を付いて俯いているが、女性を気遣う気性は持ち合わせていないし、何より北園のタイムリミットも10分を切っており、主観的にも客観的にも高尚な説法紛いの演説風味な考察を述べる余裕などは持ち合わせてはいないはずなのだが、それでも大胆不敵に高低へと宣告する。
「さぁ。さぁさぁ。さぁ、どうした。ひょっとしてこれで終わりか?この至近距離ならば我は貴様が仮に能力を行使し遠方へ飛ぶまでに、距離を詰めて触れることが可か不可か、試してみるか?」
明らかに追い詰められているのは自分ではなく相手であるのに、傲岸不遜極まりない態度でもって立ちはだかる北園を見て、高低は。
高低 ほ ろ ろ は、にたりと口元を歪めた。
「くっ、くくっ。あーーーーーーはっはっはっは!!!ためす?ねぇおにいちゃんってばいま、もしかして“ためす”とかいっちゃったかんじ?よゆうぶって、おとなぶって、おいつめておいつめたきになって、せっきょうたいむにきょうじているかんじなの?あはっ、あはははははっ!!!ばかじゃないの?ねぇばかじゃないの?ねぇねぇおにいちゃんってばほんとうに――救 い 様 の 無 い 莫 迦 だ ね」
二重に、“ぶつり”と、音がした。
その後直ぐに、“ぼとり”と、手の甲が二つ、宙から落ちてきた。
北園の手首から先が、ピアノ線で切断したよりも更に直線に、まるで次元を切り離したかの様に、無くなっていた。
「これでおててがなくなっちゃったし、さわれないね。さわれないってことわぁ?あれあれぇ~??はぃいいいいいいいおにいちゃんのまけぇえええええええ!!ちょっとツイているかしらないけど、ぼくたちきょうだいにかてるやつらなんか、ちきゅうじょうのどこをどうさがしてもいないんだよ!!」
気が付けば、目の前にいる幼児の背後より人間が現れた。姿かたち背丈は当然の如く、身に着けている服装までが一緒の、それこそドッペルゲンガーかと勘違いしかねない、瓜二つの人間がその場に出現していた。
高低ふるると高低ほろろ。
回理子と北園との同盟を組む以前に結成されていた、血族同士の本来のタッグチームである。
「ふるるちゃんおつかー。ねぇねぇ、めのまえにいるおにいちゃんってばどっぱどぱちぃたれながしてるけど、はたしてあとなんふんでうごけなくなるかなー??」
「ほろろちゃんおつかー。うんうん、そうだねぇー。てとかあしとかってしんけいがしゅうちゅうしててしゅっけつすぴーどもはやいし、おうきゅうしょちがなければもってごろっぷんってとこかなー??」
鬼の真ん前に居るというのに、双子の幼児は戦力外だといわんばかりにきゃっきゃと談笑を始めた。
血が零れる。ぼとぼと、ぼとぼとと。コンクリートに雨と混ざった、赤い池が――マーブル色の紋様が波紋となり広がっていく。
肘を上げて、消失した掌があった左右の腕を交互に見て、北園は全身を粟立てながら、呟いた。
「――面白い。これぐらいのハンデがあってこそ、丁度良い――」
彼は未だ無事である右足のつま先をを二回連続で地面に打ち付ける。すると靴の先端から鋭利な刃物が飛び出した。
高低兄妹はそれをみてぎょっとするものの、北園はじっと目線を落とし、二人を視界に入れないまま、独白する。
「かといって……我も始めての経験であるからな……うむ、怖い……身が震える……両の手の痛みが霞むぐらいに……恐怖に支配されているのが分かる……ふむ……とはいえ……やるしかないのだろう……」
怖いなぁ怖いなぁなどと誰に向かうでもなく言いながら、かかとをすりあわせるようにして刃の飛び出た靴を脱ぎ、地面に垂直に立てて、深呼吸をする。
「あの……北園さん?あなたは一体、何をやっているのですか?」
俯いた顔を上げて問いかける回理子に振り向き、北園はぶるぶると身体を震わせながら頷いた。
「何をやっているのですかって?決まっているだろう。我は。我は自らの運命を切り開く為に――こ の 命 を 捨 て る の だ」
膝を軽く曲げて垂直に飛び上がり、受身を取らずにコンクリートの地面へと叩きつけられた彼の胸には。
心臓のあるべき位置を胸元から背中までを貫通した、銀色の墓標が刺さっていた。